大病をして得たもの

過去のコラム

支援業務のような終わりのない仕事をしていると自分が歳をとっていくことを忘れてしまいます。体は確実に年齢を重ね無理が効かなくなっていることに気がつかないのです。
そして嫌でもその現実に気付かされる瞬間が来てしまいます。自分の病いを告知されたときは、晴天の霹靂かと思いましたが、案外そうでもないのです。冷静に考えれば自覚症状はあったのです。きっと貧乏性な私ですから、こうでもしないと止まらないと、神様がお休みを与えてくれたのでしょう。日頃は耳の痛いことや苦言をくれるスタッフたちがまるで母親のように私の体を気遣い「安心して治療に専念してください」と頑張りをみせてくれました。気がつかなかった人の心に触れ、大事にすべきことは何かを考えさせられました。
特定事業所存続のために、私は何かを見失ってはいなかったか。多忙に流される毎日が充実の証しで頑張っている自分だと、勘違いをしていなかったか。いったい私はどんな事業所を作りたいと考えているのか。今回病巣を取り終えて、自分の中から余分なものがはがしとられ、視界が開けたような感覚を感じています。
現在のスタッフたちもすでに若くはありません。何を大事にしていくべきかが見えてきた思いがしています。今後はさらに気持ちをひとつにして、これまで以上に利用者様おひとりお一人に寄り添った支援に専念したいと考えました。自分が思い描いた支援事業所のかたちに戻って、あたたかいメンバーさんたちと末永く仕事が続けられたら、これ以上の幸せはないと改めて感じている毎日です。